皆既日食インタビュー

~刻(とき)を忘れさせる島々で、宇宙の一員であることを実感する日~
【第2回】福満征一郎さん (鹿児島県十島村副村長)

-- 「2009年皆既日蝕」にむけて、世界中の人々が十島村に注目しています。まず、十島村について教えていただけますか?

行政区分としては、鹿児島県鹿児島郡十島村ですが、地理的な位置としてはトカラ列島ということになります。トカラ列島は、南西諸島、薩南諸島の一部で、屋久島・種子島と奄美大島の間に連なる有人島7島と無人島5島から成っています。十島村の人口は7島あわせても700名足らずで、黒毛和牛の子牛の生産が主な産業です。

多くの皆様がトカラに興味を持っていただけることはありがたいのですが、十島村の特殊な状況をご理解いただくために、その歴史についてご紹介したいと思います。

現在の十島村(としまむら)は、終戦までは十島村(じっとうそん)という名称でした。「じっとうそん」は、現在の十島村(としまむら)と屋久島の西に位置する現在の三島村(みしまむら)をあわせた地域を指し、「としまむら」の有人島7島と、「みしまむら」の有人島3島を足して10の島、ということから、十島村(じっとうそん)という名前がつけられたのです(*1)

終戦後の1946年(昭和21年)2月、連合軍総司令部により、北緯30度以南の島々が軍政下に置かれることになりました。口之島の北部に北緯30度線が通っているため、ここから南、つまり今の「としまむら」の島々は軍政下に置かれることになり、十島村(じっとうそん)は、日本に残った3島と軍政下に入った7島に分断されてしまいました。 1952年にようやく下7島が日本復帰し、その後、上三島は三島村(みしまむら)、下七島は十島村(としまむら)として再スタートすることになりました。

十島村(としまむら)は、復帰の翌年、離島振興法の適用を受けることになります。離島であればほとんど例外なく適用される法律なのですが、つづく翌年に本土復帰した奄美群島やその後に復帰した小笠原・沖縄には、この離島振興法が適用されず、それぞれさらに条件の良い特別振興措置法が制定され、本土との格差是正が図られたのです。なぜ、十島村に特別措置法はなかったのでしょうか? 人口規模が極小規模であったから? 見捨てられ、忘れ去られていたのでしょうか? 理由はわかりません。

その後も、住民減少による臥蛇島(がじゃじま)の無人島化や、交通の便を考えての中之島から鹿児島市への役場移転など、外海離島の抱えるハンディキャップや本土との格差の問題に数多く直面しながらも、これまでなんとか頑張って乗り越えてきました。今後も「皆既日蝕」というキーワードを通じて世界から注目されるでしょうが、こうした島の状況も合わせてご理解いただければと思います。

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トカラ列島--Wikipedia

畜産
村の主要産業である畜産は、島のいたるところで見られる。

*1 当時の「としまむら」エリアには、臥蛇島(ガジャジマ)(現在は無人島)にも人が住んでいたため、実際の有人島は8つあった。しかし、小宝島を宝島の属島と数えていたため、7島という計算。