トカラ悪石島探訪レポ

和の精神と南の気配

 島は、フェリーが着く浜集落と、そこから急な坂道をのぼった上集落というふたつに民家が集まっている。浜集落に降り立った我々は、「散歩がてらに…」と険しい一本道を歩きはじめた。しかし、真夏の南国の太陽は容赦なく照りつけ、汗が滝のように流れ出してきた。坂の途中で立ち止まって、さっき「散歩がてら」と考えたことを後悔したが、だからといってすぐにタクシーが通るわけでもなく、むかし、小学校の門前で配っていた宗教の小冊子に描かれた人間界のカルマ地獄絵図のようなものを思い出しながら、黙々と坂道を登った。しばらくして軽自動車が上ってきて、我々を少し通り過ぎたところで止まった。「お乗りなさいよ」と若い女性が声をかけてきた。聞けば、島の診療所の先生で、彼女も赴任当初は勝手が分からずに何度も困っていて、島の人から助けてもらって嬉しかったのだという。まだ、2/3も残っている山道を登らずに済んだ、という気持ちもあったが、何よりも気持ちがとても嬉しかった。

 上集落には、けっこうな数で民家が点在していた。町の中心はどこと問われてもよくわからないけれど、目印となる辻は、外から来た者にも幾つかすぐにわかった。3時からテラと呼ばれる場所で踊りがあると宿の人が言っていたので、覗いてみることにした。こんもりと林に覆われた一角には、小さな炭焼き小屋のような社と、カラフルな穀物が供えられている祠と、その脇には墓地が隣接されていた。木々に覆われているからか、入ったとたんヒンヤリとした空気に包まれた。

 しばらく木陰で涼んでいると、男性達が扇子を手に集まってきた。若者も年寄りもその多くが、渋い色目の着流しを着ている。例の南国系の写真のイメージとは程遠い、ずいぶんと地味なもので、きっと沖縄のように鳴りものを鳴らして踊りまくる活気のある祭りなのだろうと勝手に考えていた我々は、少しびっくりした。
 男衆達は、粛々とした様子で輪になって、いつしか鳴らされた合図で、ゆっくりと動き出していった。動きも、歌も、凛とはりつめた空気の中で全てが進行していく風景は、和の意識に満ち満ちていて、邪気も無駄もなく、実に美しいものだった。

  悪石島という名前の由来の一説に、平家の落人が追っ手から逃れるために、人が寄り付きたがらない忌みたる名前をつけたのだという話がある。そして、平家の無念を忘れず、やがて源氏を討つ日まで心身を鼓舞するために始められたのがこの踊り、なのだそうだ。だから男性だけが踊り、女性は輪の外でじっとその姿を見ているだけ。このご時世に平家の世界に触れるとは思ってもいなかったが、彼らの勇みよい踊りと歌声は、ねっとりとした南国の空気に自然と調和して、不思議な時空間を織りなしているように思えた。 › 続きを読む

| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 |   › 次ページ